曼珠沙華腰巻の美術世界
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賑やかだったランタン祭りも終わり、いよいよ春。
街は静かになり銅鑼の音も響く長崎へお出かけ下さい。
「おいで-まっしぇ~」
旧長崎美術博物館より続いています。展覧会の度に解散して、メンバーを変えながら再生するという奇妙な展覧会でもあります。
PSY-展(さいてん)サイコロの精神、心を意味する前置詞PSYに由来する展覧会。福岡、大分在住の美術家を含め15人。平面、インスタレーション、音響作品など40点。
■長崎県美術館(出島町) (展示区分 県民ギャラリー)
■ 展覧会骰展(PSY-TEN)2009
■ 会期 2009年2月24日(火)~3月1日(日)
■ 会場 全室
■ 主催 骰展実行委員会
■ 概要 15人の出品者が個展形式をとりながらコラボレーションする。
※無料
出品者
足利桂子
今道信子
浦則子
織田芳人
柿本静子
木下悌二
田中昭子
タカナタケシ
内藤修子
マーサ・ノジマ
松下和代
山下良夫
吉田隆+田中拓也
吉村瞳
写真:DM
「千々石昭和心中」
材料
①:足袋10足以上・
②足袋の前に名前を書く(亡親族・生親族・女性のみ)
(林田花江)(林田モミヱ)(稲崎秀)(内藤修子)(まる中ヒトミ)(木山美樹子)(野濱邦子)(林田スナ)(久保マスエ)(寺本ハルノ)(吉野キズ)(北平ミサノ)(川野桐江)(田中シエ)
③白い草履12足を完成(手作り)。
④赤い腰巻15枚
腰巻を風呂敷にして着物を包む:風呂敷包み15個
⑤お米を足袋に入れる。
⑥日の丸10m×6m:日の丸は真ん中から裂けている。
⑦どてら:4枚
⑧裸電球1こ。
今も昔も、女性がたくましく生きていく姿を表現。
女性は1人で生きているように見えるが・・・
はたしてそうだろうか・・・
生きて行くものをさぐるように・・・
生きてきたあかしのように・・・
荷物ひとつ・白足袋・白い草履が並んでいる。
日の丸を挟んで・・・
遠い壁の生き付く所に、「どてら」が4枚ある。
寒さから、全ての悲しい出来事から、貴方を守ってくれる両親の姿をどてらに託して表現する。このどてらは両親。
すなわち、生きて来た先祖へとつながって行くのでのである。
(この文は明記しない。作品を観て観客に作品の見方を提案しているだけで終わる。)
千々石昭和心中
概念:
急ぎすぎたように生きた昭和時代の女たち、もちろんこれは、私の作品への制作過程のことであるが。 耐えること、乗り越えることばがりに必死になったように思う。 昭和から21年目、「古い昭和・昭和心中」と発する前に、昭和から受け継ぐ大切なものを、現代に照らし出して、表現して、何故今これが心を揺るがすのだろうかと、問う展にしたい。自分にも深く投げかけてみたい。そのような表現方法を企画していると、誰のためでもない、作品の表現は自身に重く深く圧し掛かって来ている。

写真:CAA 「どてら心中」

写真:昭和34年「父娘(私)」
街は静かになり銅鑼の音も響く長崎へお出かけ下さい。
「おいで-まっしぇ~」
旧長崎美術博物館より続いています。展覧会の度に解散して、メンバーを変えながら再生するという奇妙な展覧会でもあります。
PSY-展(さいてん)サイコロの精神、心を意味する前置詞PSYに由来する展覧会。福岡、大分在住の美術家を含め15人。平面、インスタレーション、音響作品など40点。
■長崎県美術館(出島町) (展示区分 県民ギャラリー)
■ 展覧会骰展(PSY-TEN)2009
■ 会期 2009年2月24日(火)~3月1日(日)
■ 会場 全室
■ 主催 骰展実行委員会
■ 概要 15人の出品者が個展形式をとりながらコラボレーションする。
※無料
出品者
足利桂子
今道信子
浦則子
織田芳人
柿本静子
木下悌二
田中昭子
タカナタケシ
内藤修子
マーサ・ノジマ
松下和代
山下良夫
吉田隆+田中拓也
吉村瞳
写真:DM
「千々石昭和心中」
材料
①:足袋10足以上・
②足袋の前に名前を書く(亡親族・生親族・女性のみ)
(林田花江)(林田モミヱ)(稲崎秀)(内藤修子)(まる中ヒトミ)(木山美樹子)(野濱邦子)(林田スナ)(久保マスエ)(寺本ハルノ)(吉野キズ)(北平ミサノ)(川野桐江)(田中シエ)
③白い草履12足を完成(手作り)。
④赤い腰巻15枚
腰巻を風呂敷にして着物を包む:風呂敷包み15個
⑤お米を足袋に入れる。
⑥日の丸10m×6m:日の丸は真ん中から裂けている。
⑦どてら:4枚
⑧裸電球1こ。
今も昔も、女性がたくましく生きていく姿を表現。
女性は1人で生きているように見えるが・・・
はたしてそうだろうか・・・
生きて行くものをさぐるように・・・
生きてきたあかしのように・・・
荷物ひとつ・白足袋・白い草履が並んでいる。
日の丸を挟んで・・・
遠い壁の生き付く所に、「どてら」が4枚ある。
寒さから、全ての悲しい出来事から、貴方を守ってくれる両親の姿をどてらに託して表現する。このどてらは両親。
すなわち、生きて来た先祖へとつながって行くのでのである。
(この文は明記しない。作品を観て観客に作品の見方を提案しているだけで終わる。)
千々石昭和心中
概念:
急ぎすぎたように生きた昭和時代の女たち、もちろんこれは、私の作品への制作過程のことであるが。 耐えること、乗り越えることばがりに必死になったように思う。 昭和から21年目、「古い昭和・昭和心中」と発する前に、昭和から受け継ぐ大切なものを、現代に照らし出して、表現して、何故今これが心を揺るがすのだろうかと、問う展にしたい。自分にも深く投げかけてみたい。そのような表現方法を企画していると、誰のためでもない、作品の表現は自身に重く深く圧し掛かって来ている。
写真:CAA 「どてら心中」
写真:昭和34年「父娘(私)」
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長崎新聞2009・2・13「よいやー」記事
2009年2月13日朝刊
「現代美術は面白い」
「美術展2009[ima]長崎」(同実行委員主催)の屋外展示を鑑賞した。
長崎市外海地区の大中尾棚田にインスタレーション(空間ゲ術)が設置された。
印象に残った二点。金子衛さん(長崎市)の作品は田んぼ三枚に卓上鏡がズラリと並ぶ。一枚一枚に映る空や山、民家を見ながら歩く。特別なものが映ってるわけではない。計48枚。見終わって、そうか、田んぼを歩かせたのか、と勝手に納得した。田んぼというと、歩く場。田植えや稲刈りも昔はそうだった。
下段の田んぼには赤い布が十字架状に並べられている、内藤修子さん(同)の作品。田んぼは広げる場でもある。場が人の行動を触発する。そんなことを気付かされた。と併せて、作品はもう一つの世界の存在を暗示している。鏡は田んぼの地下の世界をのぞく感じ。一方、十字架は棚田の上部から眺め降ろすと、対岸の山のむき出した岩肌と相まって物語が浮かんだ。岩から飛び降りる殉教の隠れキリシタンを連想した。
現代美術の面白さは、見る者それぞれの想像力を触発、イメージを生み出すことだろう。棚田の風景と併せて、異色の作品群が疲れた脳を洗ってくれた。 (成)
2009年2月13日朝刊
「現代美術は面白い」
「美術展2009[ima]長崎」(同実行委員主催)の屋外展示を鑑賞した。
長崎市外海地区の大中尾棚田にインスタレーション(空間ゲ術)が設置された。
印象に残った二点。金子衛さん(長崎市)の作品は田んぼ三枚に卓上鏡がズラリと並ぶ。一枚一枚に映る空や山、民家を見ながら歩く。特別なものが映ってるわけではない。計48枚。見終わって、そうか、田んぼを歩かせたのか、と勝手に納得した。田んぼというと、歩く場。田植えや稲刈りも昔はそうだった。
下段の田んぼには赤い布が十字架状に並べられている、内藤修子さん(同)の作品。田んぼは広げる場でもある。場が人の行動を触発する。そんなことを気付かされた。と併せて、作品はもう一つの世界の存在を暗示している。鏡は田んぼの地下の世界をのぞく感じ。一方、十字架は棚田の上部から眺め降ろすと、対岸の山のむき出した岩肌と相まって物語が浮かんだ。岩から飛び降りる殉教の隠れキリシタンを連想した。
現代美術の面白さは、見る者それぞれの想像力を触発、イメージを生み出すことだろう。棚田の風景と併せて、異色の作品群が疲れた脳を洗ってくれた。 (成)
■2009年長崎美術展[ima]大中尾棚田・遠藤周作記念館・出品≪1月25日~2月8日
タイトル:(百年経ったら帰っておいで 吾)
大きさ:1000×1700×150(cm)
■2009年1月29日~2月11日
×××ギャラリー「金展」出品(1作品)
作品タイトル:腰巻天女生道:65×120(cm)
場所:長崎市古川町
■骰展(PSY-TEN)2009年2月24日(火)~3月1日(日)タイトル:(長崎昭和心中 )12畳一室予定
■ 2009年5月2日~5日(予定)・蜃気楼美術展(福岡市美術連盟)
場所:福岡県吉井町:出品予定
■:長崎アンデパンダン展
■アートスペース貘にて 個展2009/10/26~11/8 「日本昭和心中 詩」

写真:2008年1月
タイトル:(百年経ったら帰っておいで 吾)
大きさ:1000×1700×150(cm)
■2009年1月29日~2月11日
×××ギャラリー「金展」出品(1作品)
作品タイトル:腰巻天女生道:65×120(cm)
場所:長崎市古川町
■骰展(PSY-TEN)2009年2月24日(火)~3月1日(日)タイトル:(長崎昭和心中 )12畳一室予定
■ 2009年5月2日~5日(予定)・蜃気楼美術展(福岡市美術連盟)
場所:福岡県吉井町:出品予定
■:長崎アンデパンダン展
■アートスペース貘にて 個展2009/10/26~11/8 「日本昭和心中 詩」
写真:2008年1月
☆大中尾棚田アート参加名 2007年10月22日~11月4日
☆長崎県美術館アトリエM展
☆アートスペース獏
☆長崎美術展[ima]
先祖の名前を記憶していますか
あなたの血縁で最も若い方の名前は?
記憶を紐解けばあなたは独りではないことに気がつくでしょう
百年と生きれはしないけど、はっきりと生きた来た証しをみたようにもおもえることでしょう。
記憶の中で古い血縁 本人 血縁で若年者
1佐々木きの 小田律子 高橋珠理
2高向万吉 高向一成 佐々木ゆい
3大石琢也 中牟田和幸 小西世綱
4小西恭子 小西龍太郎 上田真也
5徳山卯市 徳山光 末光向陽
6山口一一 山口千春 山崎翔太
7安富平八郎 今道信子 中川陽仁
8藤本正一 藤本 彦 道盛あゆむ
9村上ヒサ 浦のり子 永瀬百々花
10酒井美代 平尾昌子 平尾亮太
11白髪勝世 白川麻衣子 白川紘樹
12林田村吉 内藤 就平 内藤 友
13林田花江 内藤 篤 木山啓太
14白川未乃 白川末奈 槙本敏子
15重富為次 重富一裕 江副雅文
16宮繁 保 山口洋三 山口 凛
17佐々田ケイ 佐々田恭子 小枝はるか
18神山 茂 平嶋博子 平嶋美香
19日暮サワ 岩本史緒 ノノカ
20坂井和平 坂井存 坂井一樹・渓大
21原田伝右衛門種直 原田伸雄 三宅碧生
22木野真理子 伊藤圭子 杉本絵里奈
23西岡福四郎 福島佐紀子 高橋彩香
24江越春枝 池田 徹 岩本健志郎
25斎藤亀吉 斎藤秀三郎 斎藤浩美
26山下久万作 山下由香理 山下遼馬
27渡 嘉三 金子百合子 宮本 悠
28中村竹子 内山ちづる 内山浩孝
29草野ルイ 重富幸恵 澤井里帆
30田島タマヨ 川野水津枝 川野大地
31佐藤シズエ 平川 渚 板山日向子
32城野敬三 城野敬志 城野裕司
33田中 ワカ 古賀留美子 古賀帆凌乃
103
34杉本 トエ 永田 沙織 永田 脩人
35松野 藤作 楠田真由美 水本 るい
36小曽根タヨ 三根美知代 岩崎 亜美
37藤山資千代 藤山 信子 富崎 真瑚
38下岸 直行 下岸 幸 小濱こうじ
39井手 タネ 大城 朋子 長岡 亜美
40奥田ハツエ 奥田みよ子 楠田 美紀
41鈴木スズノ 藤村 紫 藤村 恵
42中村 ツヤ 鉄本 豊美 鉄本 圭亮
43森下 若枝 土肥千枝子 土肥 美香
44横田 ハル 久松 美佳 山辺 楓
45内藤 泰雄 内藤 詔介 内藤 就平
46林田 村吉 林田 拓哉 長谷 千春
47太田幸四郎 中根郁子 中根浩之
48野濱力蔵 野濱邦子 木山恵太
49野崎マツエ 吉野キズ 北平ミサノ
50伊藤栄一 大月ゆき子 伊藤やすのぶ
51中野忠四郎 片岡佐智子 庄司さくら
52山脇米太郎 小柳和也
53西 徳次 濱本 恵 増田琥珀
54古賀ソデ 田中 史 古賀美希
55北村登喜治 北村智美
56 溝口庄三郎(M17没) 溝口正 松野侑太・日和(双子)
57 圓中孫一 圓中輝雄 木山恵太
58 前田治代吉 前田齊 前田実音
59 松尾徳之進 前田昭子 前田実音
60 境 秀次郎 境真知子 境 真季
61 中浦ジュリアン 竹ノ下磨須子 竹ノ下賢二
62 佐藤末子 小林美佐 酒井
63 西川力雄 辻村 泉 佐藤正典
64 廣澤一清 廣澤 清 廣澤里季
65 峰下八十六 峰下博幸 峰下正道
66 峰下博子 峰下靖子 峰下靖浩
67 山口都志郎 邦子
68 内田孝一郎 由美子
104
69 浦口安治 浦口清子 浦口大介
70 大串静夫
71 江嶋孝太 大串 奈央 大串瞬
72 辻田種吉 辻田みさき
73 酒井優治 酒井桃子
74 濱口昇 濱口陽子
75 久保敏視 久保由紀奈
76 宮崎アキラ 宮崎絵里 宮崎ユズキ
77 本山隆 本山万純 吉田まこ
78 山中常吉 山中春香 山中水那子
79 蛭子谷淳 蛭子谷麻矢 蛭子谷大樹
80 綾部安一 綾部麻衣 綾部他大悟
81 林田三郎 林田歩 林田和也
82 大崎小末 大崎陽子 大崎成陽
83 竹田哲馬 原田知美 森 美優
84 原 磯廣 原 百合衣 原 加奈衣
85 中村れいこ 中村瑛子 中村かつや
86 西崎義樹 西崎綾乃 西崎日和
87 森 政輝 森 永恵 森 成美
88 税所英義 税所由里絵 税所貴之
89岩永達一 岩永綾美 岩永のぼる
90 池田政俊 池田美穂 池田竜希
91 川口福寿郎 美馬由希子 山下明利
92 森 菊之介 森 春香 森 海斗
93 馬場嘉幸 馬場亜紗美 馬場たかひろ
94 山下勘一 山下かおり 山下大幸
95 山下春子 山下良夫 木村 翠
96 杉原三郎 田中久子 田中玲那
97 江川キヤ 江川沙織 上戸和彦
98 中村判四郎・桐野利明 伊東寛治
99 井村実三 中尾由利 渡邉慧
100 井上正二郎 西田俊子 福田結菜
101 林田スナ 木山美樹子 木山恵太
102 野濱力蔵 野濱夏希 三浦里公
103 吉村幸輝 吉村伸子 藤本まりの
104 林田孫一 長谷三千代 柿内栄志
105 中村志 林田貴三江 柿内栄志
106 林田孫一 林田拓哉 柿内栄志
118 林田村一 圓中ヒトミ 長谷咲月
119 圓中ヒトミ 木山恵太
120 元田重助 元田典利 元田達也
121 吉村 平古場悦子 平古場 真
凛
唯
122平古場 平古場春樹 平古場 真
凛
唯
121 国松実 国松 実 国松 実
122 白髪祖母 小林シゲ子 小林恵子
123 山口熊太郎
ハツ子 梶原慶太 梶原雅隆
124 樺島ワカ 山口吟子
「長崎県美術館県民ギャラリー・アトリエM展会場」
125 鳥巣敏行
126 川﨑幸四郎 尾脇苓子 胡桃千春
127 宮崎蜜蔵 ユリ 宮部真智子 長谷川佳史
128 西川恵子 武末きく子 酒井まりこ
129 清島好江 アレクサンダーシントン
130 宮田トキコ 杉野 静 杉野てる
131 柴山定行 中村里佳 屋敷未緒 金岩彩佳
132 北平廣義 濱 晃太郎
133 宮崎瑛士 溝越親子 溝越良子
134 中川愛蔵 中川花
135 大久保次郎 寺本悦子 藤井ユア
136 伊東由紀子 伊東ハル
137 加藤秀洋 加藤賢一 加藤唯沙
138 加藤洋子 加藤沙弥
139 田崎泰充
140 池邉龍エ門 与那嶺妙子
150 力田たかぞう 山下真由美 西勝ユリ 力田由衣
151 樋田 友 森本登
152 山口京子 山口英男 山口敦
153 福本春海 福本文子 宮崎千咲音
154 小船健一 松瀬幸子
155 本山和也 今村歩美
156 岩岡ミノ 草木田タセ 小林香 小林なつみ
157 ながた祥人 秋月正嘉与 小林太郎 前田士芽 前田芽生
158 森 滋秀 豊後倉衣 松浦キミ 松浦浅香
159 柿本時蔵 柿本シゲ 柿本静子
160 与那嶺 智 木山千枝子 芦塚静子
161 板見タミ 木下栄子 木下ゆう子
162 大瀬良万作 大瀬良正志 大瀬良康平
博多美野島CAA:15日~22日:四人展
「どてら」を使ってワークショップをします。
どてらは、寒い日にコート代りに着たようです。
ここで「どてら」のいわれや歴史等を検索してみました。
■桃山時代17世紀の胴服どうふく
表裏絹、綿入の袷仕立(あわせしたて)の胴服 国立博物館のHPのなかで見つけた、裏と表の布の間に綿(綿は絹の真綿であろう)を入れたもの。丈121cm・裄(ゆき)63cm、左脇に刀差明がある。昼間着ていた物のようだ。
半纏、袢天、半天、とも書き、長着に帯を締めた上に、羽織って着る綿入れの防寒着の事です。江戸後期から庶民の日常着になりました。どてらと呼ぶ地方もあります。
■ 丹前(たんぜん)とは厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着のこと。どてら(褞袍)とも呼ばれる。綿の入った広袖の羽織のような形をしており前を紐で結んで着装、襟と袖口が別布で覆ってある。布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。 元々高級武家に使える若い使用人(旗本奴)達の間で流行し一般にも広がったものだが、その原型は吉原の遊女、勝山の衣装から来ているという。
■ 丹前と言う名前はその勝山がもと「丹前風呂」といわれる売春窟もかねた風呂屋の湯女であったことから来ていて、美人ぞろいの丹前風呂に通い詰めた独身の旗本奴たちが良く着ていたといわれている。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取った。彼らは当時有名な売春であった丹前風呂などに通いつめていたためその好みを丹前風と呼ぶ。
★K岡s子さん(60才)が語る:「どてらを捨てようにも、思い入れがあって、捨てれないのです。何か、アート的なものに使って、みせてよ。貴女なら、最後のどてらの花道を造れるのじゃないかしら~。夫の叔母は結婚することもなく84歳で他界しました。作り酒屋の1人娘でした。子供がいないので夫を可愛がってくれ、幼い頃はわが子のように、身の回りの世話をしてくれたそうです。夫と結婚した頃に、「治夫ちゃんは寒がり屋さんだから、作ったのよ~」と頂いたのです。その後、そのどてらは袖を通すこともなく、片付けた。それが、この9月、家の建替えをして出て来ました。叔母は昨年亡くなり、どてらを作る時、「寒かろうから・・」と言った言葉を思い出し、夫を思う気持ちが伝わってきました。」
★ M部M子さん(62才)からメール:修子さん、こんにちは。いい天気が続きますね。昨日は友人を誘って棚田の火祭りを楽しんできました。すごいスケールに圧倒されました。前回は1200個の松明だったとおぼえていますが、今日の新聞記事では昨日は4500個の松明だったそう。友人も大満足。御弁当を作ってきてくれたので、演奏会場のまわりで夜のピクニック気分を味わいました。
ところで、押入れの整理をしていたら母の代からの「どてら」が眠っていたので処分しようと思います。厚い綿入れですが、修子さん利用法ありませんか?添付ファイルで写真を送りますから、 どうぞご検討ください。
*修子さん、ちょっと問題が起きました。写真を撮った後、たたんで布をかぶせておいたのですが、猫がたたんだ角で爪とぎをしたようで 3ヶ所ほどやぶれました。生地も古く弱っていたのでしょう。簡単につくろいましたが後ろが傷になっています。それでもかまいませんか?
★ 吉野キズさん(87歳)は話す。:結婚祝に、父が「この布団とどてらは家で綿を紡いで作ったものだから、西洋のものは、なんにもなかと、だんなさんには戦争で勝ってもらわんばやけんでね、実家のために良く働いた御褒美」と言った。もう10年間片付けて、何時逝っていいようにしょうとしている。「もらってくれんね~塵捨てに出すにも、もう運ぶ力がない。」
★N・修子:9年前、築100年経った家を壊す日は近づき、兄弟で屋根裏の長持の片付けに余念がなかった。どうして屋根裏に置いたのか、入口は狭いのに大きな長持が3棹並んでいた。この家に嫁いだ人の数だった。その中を開けると、布団が並んでいた。屋根裏のそのまた奥の一室は以前蚕部屋だったらしい。布団長持から、出てくるどてらの布の古さと継接ぎと糸目と、糊の強さに、先人たちの心粋さえ感じてしまった。「捨てれない」:確かに、袖を何度も通した、どてらたちが其処には有った。
写真:どてらの父と小学4年生
撮影は兄です。
年の離れた兄は大学生でした。今時の学生と違って、よくもま~遠くから休みになると、長い時間、10時間以上も汽車に乗り帰省したものだと思います。帰省する度にカメラを持って撮っていました。はなれに有った兄の部屋はその時ばかりは暗室になり華やいだように思います。出来たこの写真を見ながら、「父さんの真似して・・足を広げてみたかったんかなァ~」と呟いていたのを記憶しています。
父のこのどてらは、どてらとして見た記憶で最後でした。ラクダの下着の上に来て・・大きなベルトでしめていました。時々しか帰らない父でしたが、大きな存在に思えて、少し恐くてなりませんでした。
「どてら」をテーマにワークショップをします。
2008年11月15日
場所:CAA 博多区美野島
「どてら」写真



「どてら」を使ってワークショップをします。
どてらは、寒い日にコート代りに着たようです。
ここで「どてら」のいわれや歴史等を検索してみました。
■桃山時代17世紀の胴服どうふく
表裏絹、綿入の袷仕立(あわせしたて)の胴服 国立博物館のHPのなかで見つけた、裏と表の布の間に綿(綿は絹の真綿であろう)を入れたもの。丈121cm・裄(ゆき)63cm、左脇に刀差明がある。昼間着ていた物のようだ。
半纏、袢天、半天、とも書き、長着に帯を締めた上に、羽織って着る綿入れの防寒着の事です。江戸後期から庶民の日常着になりました。どてらと呼ぶ地方もあります。
■ 丹前(たんぜん)とは厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着のこと。どてら(褞袍)とも呼ばれる。綿の入った広袖の羽織のような形をしており前を紐で結んで着装、襟と袖口が別布で覆ってある。布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。 元々高級武家に使える若い使用人(旗本奴)達の間で流行し一般にも広がったものだが、その原型は吉原の遊女、勝山の衣装から来ているという。
■ 丹前と言う名前はその勝山がもと「丹前風呂」といわれる売春窟もかねた風呂屋の湯女であったことから来ていて、美人ぞろいの丹前風呂に通い詰めた独身の旗本奴たちが良く着ていたといわれている。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取った。彼らは当時有名な売春であった丹前風呂などに通いつめていたためその好みを丹前風と呼ぶ。
★K岡s子さん(60才)が語る:「どてらを捨てようにも、思い入れがあって、捨てれないのです。何か、アート的なものに使って、みせてよ。貴女なら、最後のどてらの花道を造れるのじゃないかしら~。夫の叔母は結婚することもなく84歳で他界しました。作り酒屋の1人娘でした。子供がいないので夫を可愛がってくれ、幼い頃はわが子のように、身の回りの世話をしてくれたそうです。夫と結婚した頃に、「治夫ちゃんは寒がり屋さんだから、作ったのよ~」と頂いたのです。その後、そのどてらは袖を通すこともなく、片付けた。それが、この9月、家の建替えをして出て来ました。叔母は昨年亡くなり、どてらを作る時、「寒かろうから・・」と言った言葉を思い出し、夫を思う気持ちが伝わってきました。」
★ M部M子さん(62才)からメール:修子さん、こんにちは。いい天気が続きますね。昨日は友人を誘って棚田の火祭りを楽しんできました。すごいスケールに圧倒されました。前回は1200個の松明だったとおぼえていますが、今日の新聞記事では昨日は4500個の松明だったそう。友人も大満足。御弁当を作ってきてくれたので、演奏会場のまわりで夜のピクニック気分を味わいました。
ところで、押入れの整理をしていたら母の代からの「どてら」が眠っていたので処分しようと思います。厚い綿入れですが、修子さん利用法ありませんか?添付ファイルで写真を送りますから、 どうぞご検討ください。
*修子さん、ちょっと問題が起きました。写真を撮った後、たたんで布をかぶせておいたのですが、猫がたたんだ角で爪とぎをしたようで 3ヶ所ほどやぶれました。生地も古く弱っていたのでしょう。簡単につくろいましたが後ろが傷になっています。それでもかまいませんか?
★ 吉野キズさん(87歳)は話す。:結婚祝に、父が「この布団とどてらは家で綿を紡いで作ったものだから、西洋のものは、なんにもなかと、だんなさんには戦争で勝ってもらわんばやけんでね、実家のために良く働いた御褒美」と言った。もう10年間片付けて、何時逝っていいようにしょうとしている。「もらってくれんね~塵捨てに出すにも、もう運ぶ力がない。」
★N・修子:9年前、築100年経った家を壊す日は近づき、兄弟で屋根裏の長持の片付けに余念がなかった。どうして屋根裏に置いたのか、入口は狭いのに大きな長持が3棹並んでいた。この家に嫁いだ人の数だった。その中を開けると、布団が並んでいた。屋根裏のそのまた奥の一室は以前蚕部屋だったらしい。布団長持から、出てくるどてらの布の古さと継接ぎと糸目と、糊の強さに、先人たちの心粋さえ感じてしまった。「捨てれない」:確かに、袖を何度も通した、どてらたちが其処には有った。
写真:どてらの父と小学4年生
撮影は兄です。
年の離れた兄は大学生でした。今時の学生と違って、よくもま~遠くから休みになると、長い時間、10時間以上も汽車に乗り帰省したものだと思います。帰省する度にカメラを持って撮っていました。はなれに有った兄の部屋はその時ばかりは暗室になり華やいだように思います。出来たこの写真を見ながら、「父さんの真似して・・足を広げてみたかったんかなァ~」と呟いていたのを記憶しています。
父のこのどてらは、どてらとして見た記憶で最後でした。ラクダの下着の上に来て・・大きなベルトでしめていました。時々しか帰らない父でしたが、大きな存在に思えて、少し恐くてなりませんでした。
「どてら」をテーマにワークショップをします。
2008年11月15日
場所:CAA 博多区美野島
「どてら」写真