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曼珠沙華腰巻の美術世界
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パフォーマンス・後記

2013/02/02 (Sat) 22:50:28


その時
何かが舞い降りてきました。

岡野さんの歌を聴いていると・・涙がこみ上げて来ました。
岡野さんの歌力だと今更ながら思いました。
必死に鼻水をすすりあげながら・・「ちゃんとせんか!」という声(亡夫)

『身近に起きた出来事を話せば涙の渦になると確信するわたし』

あ!身体を動かなさいと・涙が流れる・と、思った時・
隣にいた佳子さんへ「ね~・・もうはじめようよ~」と発言・・。その思いを汲み取ったように、佳子さんが、「うん!解った」と。
あ・うんの呼吸でした。

その瞬間
このお通夜のシーンは
17歳の私・私の原点のわたし・
「死」は私に生きる勇気を与え・根底から自身を変えてくれた。

私でさえ思っていなかった・私の発言。

「17才の時・19歳だった兄が・・ここ出島で死にました・お通夜の時・まるいおにぎり・沢庵・・・そして≪お酒)
死ぬ者と生きてる者の最後の夜でした。
呆然としていたわたし。
そのシーンが今も私の脳裏にはっきりあります。
兄を亡くした、17歳の哀しい悲しいお通夜でした。」

____________
2013年2月3日節分の朝
2本の電話T/さん・Mさんから
*パフォーマンス・やめないで下さい。
 美術館へ行く楽しみがなくなります。
 続けて下さい
*意味が、やっと・・・解りました。
*CD出来たら買いたいです。

・激励の言葉を頂き・もう止めようと決心した心が早くも揺らいでいます。
終わろうと思ったときに、こんなに大切に思ってくださって「ありがとうございました」

 あの時:何が起こるかと思う胸の鼓動と、流れるように生きたいと思う心が交差する瞬間は、パフォーマンスをした者しか解らないのかもしれません。
 今、まだ抱えている悲しい「夫の死」を受け入れるようになった時、パフォーマンスを終わろうと思います。

 この考えは今回の「日本家族回路」・パフォーマンス行為」をする以前は、逆に思っていました。
こんなに痛々しいことはもう出来ないと。お通夜のシーンは、もう悲しくて、永遠に封じ込めようと思っていました。
このようなことをするから、(19歳の兄・60歳の兄死亡)私は身内を早く次々に亡くすのではなかろうかと自暴自棄でした。、でも今度、行って、それは違う、全く逆だとおもうようになりました。パフォーマンスプロジェクトが在るから、私は生きられる。同じ動作行為はしてなくても、それぞれの方が死への深い不安と死の悲しみは同じです。
・二人の兄を亡くしたとき、いつも側にいて生きる勇気をくれたのは、一緒には育たなかったもう一人の兄の存在・その兄の親友であった夫・姉・夫の姉でした。
・「自由に生きろ・命ある限り真直ぐに生きろ・自分の分・自分が出来なかったことをお前がして生きろ」・・という夫の声を聞いた。
焦らず・のろのろ・ぼちぼち・わたしの美術を続けていこうと思う。

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