曼珠沙華腰巻の美術世界
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
0〔ゼロ)地点からはじめよう
これから何時まで・・
これから何点もの作品が・・
ここで、それぞれが研鑽していくことだろう。
安居さんへ
この場を与えてくださってありがとうございます。
作家たちはこのような場所を待っておりました。
もうこれからは、なかなか・・新しい人たちとは出会わないだろう
もう、いまからは、今まで出遭った者たちで親交も芸術も・深めていくだろう。
作家・人間たちの最後の美術へ戦いの現場として、この場があるように思う。
私は、JRを降りて裏路地の「安居」に出合った時、
『ここが、私の最後の飲み屋となるだろう』思っ日があった。
******************
相方の病院暮らしをなかなか言えないで過ごした。
何も聞かない・何も言わない日々・
相方との毎日の別れは辛いものだった。
あまりの辛さに・・ドアの外で涙した。
20時のチャイム音楽〔マイウェイ)が鳴ると
相方は「帰っていいよ~お酒を飲んで帰れよ~」と言った。
相方の優しさに涙に暮れた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相方は小島小学校同級生と集うのがうれしそうだった。
浜の町の空きビルを借りて
東高の仲間が集まる場所をつくりたい・お酒が飲めない人にはコーヒーを。
壁面には私の絵を飾ろうと。
夢よ!そんなことは・・と言う私に
友人3人と計画を立ててることを話しだした。
楽しく話して、仕事を終われば、即取り掛かりたいと嬉しそうだった。
・・・・・・・・・・・・
仕事について
とても仕事を気にしてたので、医師に相談した。
医師は私には、「仕事が有るから生きていけるのですよ・・今、彼は」
彼には「責任を全部抱えるような仕事は今からは駄目です・ストレスが病気の始まり」
彼は「そんなことは、私には出来ない。責任がとれない仕事は仕事じゃない」
私はなんといい男なんだと思った。
・・そんな折だった・癌は転移した。
PR