曼珠沙華腰巻の美術世界
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①12月23日~1月29日:bi Angoオープン企画展
23日15時:オープンパーティ
②25年1月22日~27日:さい展・長崎県bijyutuka nn
27日は15時から30分間
『日本家族回路」内藤修子パフォーマンス
歌:岡野雄一
どてら:溝口正
羽織:境真知子
おにぎり作り:藤原よしこ・内藤しゅうこ
他:着物姿参加者:片岡家親子3代・内藤親子3代
ビデオ撮影:吉田形
文章コメント:徳山光
■kthギャラリーチャりティ1月17日から
「白足袋飛天」f6
...
③25年2月2日~12日ぶりっく2f
長崎歯科衛生専門学校1年美術部
「蜃気楼2013+25」
23日15時:オープンパーティ
②25年1月22日~27日:さい展・長崎県bijyutuka
27日は15時から30分間
『日本家族回路」内藤修子パフォーマンス
歌:岡野雄一
どてら:溝口正
羽織:境真知子
おにぎり作り:藤原よしこ・内藤しゅうこ
他:着物姿参加者:片岡家親子3代・内藤親子3代
ビデオ撮影:吉田形
文章コメント:徳山光
■kthギャラリーチャりティ1月17日から
「白足袋飛天」f6
...
③25年2月2日~12日ぶりっく2f
長崎歯科衛生専門学校1年美術部
「蜃気楼2013+25」
0〔ゼロ)地点からはじめよう
これから何時まで・・
これから何点もの作品が・・
ここで、それぞれが研鑽していくことだろう。
安居さんへ
この場を与えてくださってありがとうございます。
作家たちはこのような場所を待っておりました。
もうこれからは、なかなか・・新しい人たちとは出会わないだろう
もう、いまからは、今まで出遭った者たちで親交も芸術も・深めていくだろう。
作家・人間たちの最後の美術へ戦いの現場として、この場があるように思う。
私は、JRを降りて裏路地の「安居」に出合った時、
『ここが、私の最後の飲み屋となるだろう』思っ日があった。
******************
相方の病院暮らしをなかなか言えないで過ごした。
何も聞かない・何も言わない日々・
相方との毎日の別れは辛いものだった。
あまりの辛さに・・ドアの外で涙した。
20時のチャイム音楽〔マイウェイ)が鳴ると
相方は「帰っていいよ~お酒を飲んで帰れよ~」と言った。
相方の優しさに涙に暮れた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相方は小島小学校同級生と集うのがうれしそうだった。
浜の町の空きビルを借りて
東高の仲間が集まる場所をつくりたい・お酒が飲めない人にはコーヒーを。
壁面には私の絵を飾ろうと。
夢よ!そんなことは・・と言う私に
友人3人と計画を立ててることを話しだした。
楽しく話して、仕事を終われば、即取り掛かりたいと嬉しそうだった。
・・・・・・・・・・・・
仕事について
とても仕事を気にしてたので、医師に相談した。
医師は私には、「仕事が有るから生きていけるのですよ・・今、彼は」
彼には「責任を全部抱えるような仕事は今からは駄目です・ストレスが病気の始まり」
彼は「そんなことは、私には出来ない。責任がとれない仕事は仕事じゃない」
私はなんといい男なんだと思った。
・・そんな折だった・癌は転移した。
「美術は永遠・だが、今、美術は必要か!」その答に作家たちのサロンとして望むと、安居氏はポツリ。
biAngoは燦々輝く美術館ではない。著明作家の場でもない。作家は、自身の作品とひとつの「拘りの実在」を求めて、一貫して日常を美術と生きる。
出品者
今道 浦 岡元 小田原 尾脇 柿本
梶原 金子 木下 小林 境 高向 タナカ
徳山 内藤 中牟田 松下 道
田中 吉住 吉田形
art space biAngo オーペン企画展
第1回 「拘わりの実在」
biAngoは燦々輝く美術館ではない。著明作家の場でもない。作家は、自身の作品とひとつの「拘りの実在」を求めて、一貫して日常を美術と生きる。
出品者
今道 浦 岡元 小田原 尾脇 柿本
梶原 金子 木下 小林 境 高向 タナカ
徳山 内藤 中牟田 松下 道
田中 吉住 吉田形
art space biAngo オーペン企画展
第1回 「拘わりの実在」
■2012年12月23日(日)~2013年1月29日(日)
(休:31・1・2・3)15時~20時
23日15時よりオープニンパーティ
浦上駅改札口出て・右歩20秒
企画・内藤・徳山・境・尾脇・道・吉田形・
Tel:naitou090-
mizoguti095-8-
Pc:n-shcom