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曼珠沙華腰巻の美術世界
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博多美野島CAA:15日~22日:四人展

「どてら」を使ってワークショップをします。
 どてらは、寒い日にコート代りに着たようです。
ここで「どてら」のいわれや歴史等を検索してみました。
■桃山時代17世紀の胴服どうふく
表裏絹、綿入の袷仕立(あわせしたて)の胴服 国立博物館のHPのなかで見つけた、裏と表の布の間に綿(綿は絹の真綿であろう)を入れたもの。丈121cm・裄(ゆき)63cm、左脇に刀差明がある。昼間着ていた物のようだ。
半纏、袢天、半天、とも書き、長着に帯を締めた上に、羽織って着る綿入れの防寒着の事です。江戸後期から庶民の日常着になりました。どてらと呼ぶ地方もあります。
■ 丹前(たんぜん)とは厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着のこと。どてら(褞袍)とも呼ばれる。綿の入った広袖の羽織のような形をしており前を紐で結んで着装、襟と袖口が別布で覆ってある。布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。 元々高級武家に使える若い使用人(旗本奴)達の間で流行し一般にも広がったものだが、その原型は吉原の遊女、勝山の衣装から来ているという。
■ 丹前と言う名前はその勝山がもと「丹前風呂」といわれる売春窟もかねた風呂屋の湯女であったことから来ていて、美人ぞろいの丹前風呂に通い詰めた独身の旗本奴たちが良く着ていたといわれている。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取った。彼らは当時有名な売春であった丹前風呂などに通いつめていたためその好みを丹前風と呼ぶ。
★K岡s子さん(60才)が語る:「どてらを捨てようにも、思い入れがあって、捨てれないのです。何か、アート的なものに使って、みせてよ。貴女なら、最後のどてらの花道を造れるのじゃないかしら~。夫の叔母は結婚することもなく84歳で他界しました。作り酒屋の1人娘でした。子供がいないので夫を可愛がってくれ、幼い頃はわが子のように、身の回りの世話をしてくれたそうです。夫と結婚した頃に、「治夫ちゃんは寒がり屋さんだから、作ったのよ~」と頂いたのです。その後、そのどてらは袖を通すこともなく、片付けた。それが、この9月、家の建替えをして出て来ました。叔母は昨年亡くなり、どてらを作る時、「寒かろうから・・」と言った言葉を思い出し、夫を思う気持ちが伝わってきました。」
★ M部M子さん(62才)からメール:修子さん、こんにちは。いい天気が続きますね。昨日は友人を誘って棚田の火祭りを楽しんできました。すごいスケールに圧倒されました。前回は1200個の松明だったとおぼえていますが、今日の新聞記事では昨日は4500個の松明だったそう。友人も大満足。御弁当を作ってきてくれたので、演奏会場のまわりで夜のピクニック気分を味わいました。
 ところで、押入れの整理をしていたら母の代からの「どてら」が眠っていたので処分しようと思います。厚い綿入れですが、修子さん利用法ありませんか?添付ファイルで写真を送りますから、 どうぞご検討ください。
 *修子さん、ちょっと問題が起きました。写真を撮った後、たたんで布をかぶせておいたのですが、猫がたたんだ角で爪とぎをしたようで 3ヶ所ほどやぶれました。生地も古く弱っていたのでしょう。簡単につくろいましたが後ろが傷になっています。それでもかまいませんか?
★ 吉野キズさん(87歳)は話す。:結婚祝に、父が「この布団とどてらは家で綿を紡いで作ったものだから、西洋のものは、なんにもなかと、だんなさんには戦争で勝ってもらわんばやけんでね、実家のために良く働いた御褒美」と言った。もう10年間片付けて、何時逝っていいようにしょうとしている。「もらってくれんね~塵捨てに出すにも、もう運ぶ力がない。」
★N・修子:9年前、築100年経った家を壊す日は近づき、兄弟で屋根裏の長持の片付けに余念がなかった。どうして屋根裏に置いたのか、入口は狭いのに大きな長持が3棹並んでいた。この家に嫁いだ人の数だった。その中を開けると、布団が並んでいた。屋根裏のそのまた奥の一室は以前蚕部屋だったらしい。布団長持から、出てくるどてらの布の古さと継接ぎと糸目と、糊の強さに、先人たちの心粋さえ感じてしまった。「捨てれない」:確かに、袖を何度も通した、どてらたちが其処には有った。
               
写真:どてらの父と小学4年生
撮影は兄です。
年の離れた兄は大学生でした。今時の学生と違って、よくもま~遠くから休みになると、長い時間、10時間以上も汽車に乗り帰省したものだと思います。帰省する度にカメラを持って撮っていました。はなれに有った兄の部屋はその時ばかりは暗室になり華やいだように思います。出来たこの写真を見ながら、「父さんの真似して・・足を広げてみたかったんかなァ~」と呟いていたのを記憶しています。
父のこのどてらは、どてらとして見た記憶で最後でした。ラクダの下着の上に来て・・大きなベルトでしめていました。時々しか帰らない父でしたが、大きな存在に思えて、少し恐くてなりませんでした。
「どてら」をテーマにワークショップをします。




2008年11月15日
場所:CAA 博多区美野島
「どてら」写真






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