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曼珠沙華腰巻の美術世界
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『精霊の慈悲の形』     内藤修子
岡本太郎の「生命主義」生命活動こそが・・・思想のかたち。
今日の芸術はうまくあってはいけない。綺麗であってもいけない。
心地良いものであってもいけない。
既存の観念から逸脱しつづけることこそ、真の「芸術」だ。(1954年)
岡本かの子の短歌
年々にわが悲しみは深くして いよいよ華やぐ いのちなりけり
岡本太郎とかの子・「母子」をテーマに制作し続けてみた。
母と子をテーマに、やんわりと作品作りをしていました。しかし現実はもっと複雑に病み、「誰もしらない」という映画は物語で終わらない世界。幼児虐待は親の歪む心の皺寄せとなり蓄積されつつある。そのような社会の病みに向けて作品をつくると、思考回路はふっと湧いた精霊の中へ入り込んでしまった。最後の祈りとするなら、「私と子」という個人的な作品でもよいのではないか。果たして母子は個人的なことか。
 信仰の深まりと「最後の祈り」とするならば、なんの信仰も持たない私が辿りついたものは、長崎の「光源寺の飴屋の幽霊」だった。いかなる理由があろうと、あの母親こそ、母親の真実の叫び声だ。
岡本太郎母と子から始まった制作は、精霊の中に帰り辿り着いた。
 もう直ぐ、長崎にも暑い夏がやってくる。    2010年7月6日 

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