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曼珠沙華腰巻の美術世界
2013年8月18日から
2011年の空家は雨もりで使えないことを告知されました。
 港に近いその家は私が来るのを待っていたかのように感じました。立ち入り禁止になってるその部屋には「三島由紀夫全集」がびっしり。その本の多さにびっくりした。仏壇を開くと位牌は整然と並んでいました。この家が、どうしようもない私の作品をきっと深めて充実した展覧会にしてくれるだろうと思いました。「この家にはどんな方がお住まいでしたか?」と尋ねると、「ここは医者の家で・住まいでした・山田病院・・」という答えでした。『医学書の他にもこのような文学を読まれていた方だったのかと思うと・まだそこに生前の会ったこともない人柄が浮かび上がり、空家である意味が理解出来ました』
空家に直面する度、ひたすらに自分の行く末・自分の家を重なって空しく切ない思いがしていたが、今回は心情的にも強くなっていた。三島由紀夫の本は蚊帳の中に人形と並べて、宇久島の思い出が永遠であることを祈った。
 2011年の宇久島作品ではひとり残された女性を表現したが、いよいよ空家の意味、しかも宇久島、島で空家の完結編をみたような気がした。

内藤 修子 「宇久島空家に思考戯言!本気事」
 2011年11月12日上陸した時は空家の多さにも驚いたが、見ていて、自分の行く末を見るようで切なく、空しく、霞んで見えた。もちろんそれは、相方が突然にも癌におかされていながら、快くおくり(1泊の宇久アートの旅へ)出してくれたからかもしれない。その頃の心情は、相方に癌の病気が覚られないように・ここで普段通りにしないと、病気に気づくかもしれないという重大な悩みを抱えていた頃でもあった。灯台の丘で二つ並んだ電気灯器さえ・風に向かって2つ建っているものを・・と、相方の癌を
憎んだ。
 2013年8月17日上陸・きっとギラギラ強い太陽の下だったからかもしれないが・お盆の力だったかもしれない・空家の力・霊というもの人魂の強さを感じた。
■ひとりになったら・・・どんなに島で富があっても福があっても幸があっても、「年齢と病気と子孫と住めない・・事情」が舞い込んで来た時・その生活は1・2・3で「終了・終わり」;そこで覚悟して死ぬか島を出るか選択しなければならない。それなら其処までは精一杯生きることである。ここで生きてたことが証 しとなり存在して生きる・島にいる人たちは生活が日常で、本渡の人が思うように不便でもなんでもないと思う。私は考え方が強くなった気持になった。ありがとう宇久島。また会いたい宇久島。

 空家の人魂の愛の強さを感じて帰って来た。 ・・それでいいさ~・そしてわたしも今のままでいい・このままで死ねたらそれで一番良いと思った。


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