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曼珠沙華腰巻の美術世界
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『精霊の慈悲の形』     内藤修子
岡本太郎の「生命主義」生命活動こそが・・・思想のかたち。
今日の芸術はうまくあってはいけない。綺麗であってもいけない。
心地良いものであってもいけない。
既存の観念から逸脱しつづけることこそ、真の「芸術」だ。(1954年)
岡本かの子の短歌
年々にわが悲しみは深くして いよいよ華やぐ いのちなりけり
岡本太郎とかの子・「母子」をテーマに制作し続けてみた。
母と子をテーマに、やんわりと作品作りをしていました。しかし現実はもっと複雑に病み、「誰もしらない」という映画は物語で終わらない世界。幼児虐待は親の歪む心の皺寄せとなり蓄積されつつある。そのような社会の病みに向けて作品をつくると、思考回路はふっと湧いた精霊の中へ入り込んでしまった。最後の祈りとするなら、「私と子」という個人的な作品でもよいのではないか。果たして母子は個人的なことか。
 信仰の深まりと「最後の祈り」とするならば、なんの信仰も持たない私が辿りついたものは、長崎の「光源寺の飴屋の幽霊」だった。いかなる理由があろうと、あの母親こそ、母親の真実の叫び声だ。
岡本太郎母と子から始まった制作は、精霊の中に帰り辿り着いた。
 もう直ぐ、長崎にも暑い夏がやってくる。    2010年7月6日 

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タイトル:女と男の黒ノ舟歌
大きさ:68×65×7(cm)
材料:布・木・流木・黒板液・セメント
制作日・2010年4月12日






長崎さるく幕末編モニュメント
「お龍さんと月琴」
除幕式次第
日時 平成22年3月14日(日)11:00~11:30
場所 長崎地方法務局(長崎市万才町8番16号)
1 開会
2 さるく観光幕末編推進委員会会長挨拶              3 長崎市長挨拶
4 長崎さるく幕末編モニュメント設置に至る経過説明
5 デザイン優秀賞受賞者 コンセプト説明
6 モニュメント制作者 作品説明
7 除幕

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■6 製作者作品説明
説明依頼があって、あわてて、3分にしたけど、書いたものを読むより、その時に思いついたことを話すのが、私らしいと思う・・。
「お龍さんと月琴」モニュメント像に寄せて、デザインコンセス」
 実在女性のモニューメントへの思いは、その女性の生きた時代背景、風、空の色、季節、を思い浮かべてみました。長崎で、この地で、満月の夜に、坂本龍馬を待って、月琴を弾いていたのでしょうか。
 お龍さんは懸命にその時代を生きた人、坂本龍馬の「日本の夜明け」を作る夢に、龍馬の夢と供に,潤いの同志として、生きた方。
 どんなに世の中が、時代が変わろうと、架せられた時代をけなげに、力強く生きた方。遠い時代に、女性として、妻として、世の中の流れを知識として視るという、最初の一歩を歩きはじめた方だと。
 お龍さんデザインコンセプトは、女性の持つ「女性の意気込み」「粋さ」「生き生きしたけなげさ」。人生のワンシーン、1ページを表現、そんなデザインコンセプトで製作。
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除幕後の感想(絵画人関係7人)
■ 内藤修子デザインの特徴が全くない作品。
■修復家Tさん:作品とデザインは全く違うものになっている。アイデアだけを提供したと思う。
■Iさん:このように、デザイン側と彫刻家が違っていいものだろうか。
 審査した形状で作品を制作して欲しい。
▼彫刻彫塑の工業へ委託し、立体化して欲しい。
▼有名作家ものでなくて、一般に親しまれる作品であれば、それでよい。
▲顔が物憂げというより、イラついて沈んでいる。
▲髪型・帯に違和感がある。どっしりした、ゆったり感が欲しい。


 下記のように個展をします。よろしくお願い申しあげます。

shuko naitho Exhibition  内藤修子展
タイトル:「どてら昭和心中」

場所:アートスペース貘(福岡市親不幸通り入口)
   〒810-0001 福岡市中央区天神3-4-14
Tel:092-781-7597 fax:092-771-2653
期日:2009年10月19日(月)~11月1日(日)
時間:11時~20時(1日;17時迄)
■ 10月19日14時開催「おにぎり」パフォーマンスをします。
御通夜で食べるおにぎりをにぎって、来廊者と一緒に食べます。

部類:   現代美術 インスタレーション
素材:布(どてら 足袋 布草履 腰巻)、紙、綿
個展主旨:
 手作り腰巻を来館者に付けて頂く行為を8年間、「あなたのおばあちゃんについて書いて下さい」を8年間、その他と参加型アートとして開催してきました。その16年間、参加型アートを通して、観るだけでは決して味合うことがないものを探し当てることが出来、「人」と「人」との繋がりが深くなりました。
今回は、2007年から始めました、「記憶の中の3世代を書く」行為です。
今、この世に生まれたものは、誰一人として百年は生きられないが、この地上で、同じ物を見て、触れていることは、その存在そのものが、尊いことである。どう感じるかなどはそれぞれの方が、思いを馳せればよいことにも思える。唯一つ 共通していることは、日本の地に存在していること。私たちは昭和という時代に生まれ育って来た者たちだ。やがて忘れ去られる時代に,少しばかり足を止めてみると、全てが其処から始まっていたように思う。個展会場には、この世からなくなる物、すでになくなった物が鎮座して、私たちを見ている。
 賑やかだったランタン祭りも終わり、いよいよ春。
街は静かになり銅鑼の音も響く長崎へお出かけ下さい。 
「おいで-まっしぇ~」
旧長崎美術博物館より続いています。展覧会の度に解散して、メンバーを変えながら再生するという奇妙な展覧会でもあります。 
PSY-展(さいてん)サイコロの精神、心を意味する前置詞PSYに由来する展覧会。福岡、大分在住の美術家を含め15人。平面、インスタレーション、音響作品など40点。
■長崎県美術館(出島町) (展示区分 県民ギャラリー)
■ 展覧会骰展(PSY-TEN)2009
■ 会期 2009年2月24日(火)~3月1日(日)
■ 会場 全室
■ 主催 骰展実行委員会
■ 概要 15人の出品者が個展形式をとりながらコラボレーションする。
※無料
出品者
足利桂子
今道信子
浦則子
織田芳人
柿本静子
木下悌二
田中昭子
タカナタケシ
内藤修子
マーサ・ノジマ
松下和代
山下良夫
吉田隆+田中拓也
吉村瞳

写真:DM
「千々石昭和心中」
材料
①:足袋10足以上・
②足袋の前に名前を書く(亡親族・生親族・女性のみ)
(林田花江)(林田モミヱ)(稲崎秀)(内藤修子)(まる中ヒトミ)(木山美樹子)(野濱邦子)(林田スナ)(久保マスエ)(寺本ハルノ)(吉野キズ)(北平ミサノ)(川野桐江)(田中シエ)
③白い草履12足を完成(手作り)。
④赤い腰巻15枚
腰巻を風呂敷にして着物を包む:風呂敷包み15個
⑤お米を足袋に入れる。
⑥日の丸10m×6m:日の丸は真ん中から裂けている。
⑦どてら:4枚
⑧裸電球1こ。
今も昔も、女性がたくましく生きていく姿を表現。
女性は1人で生きているように見えるが・・・
はたしてそうだろうか・・・
生きて行くものをさぐるように・・・
生きてきたあかしのように・・・

荷物ひとつ・白足袋・白い草履が並んでいる。
日の丸を挟んで・・・
遠い壁の生き付く所に、「どてら」が4枚ある。
 寒さから、全ての悲しい出来事から、貴方を守ってくれる両親の姿をどてらに託して表現する。このどてらは両親。
すなわち、生きて来た先祖へとつながって行くのでのである。
(この文は明記しない。作品を観て観客に作品の見方を提案しているだけで終わる。)

千々石昭和心中 
概念:
 急ぎすぎたように生きた昭和時代の女たち、もちろんこれは、私の作品への制作過程のことであるが。 耐えること、乗り越えることばがりに必死になったように思う。 昭和から21年目、「古い昭和・昭和心中」と発する前に、昭和から受け継ぐ大切なものを、現代に照らし出して、表現して、何故今これが心を揺るがすのだろうかと、問う展にしたい。自分にも深く投げかけてみたい。そのような表現方法を企画していると、誰のためでもない、作品の表現は自身に重く深く圧し掛かって来ている。

写真:CAA  「どてら心中」



写真:昭和34年「父娘(私)」
博多美野島CAA:15日~22日:四人展

「どてら」を使ってワークショップをします。
 どてらは、寒い日にコート代りに着たようです。
ここで「どてら」のいわれや歴史等を検索してみました。
■桃山時代17世紀の胴服どうふく
表裏絹、綿入の袷仕立(あわせしたて)の胴服 国立博物館のHPのなかで見つけた、裏と表の布の間に綿(綿は絹の真綿であろう)を入れたもの。丈121cm・裄(ゆき)63cm、左脇に刀差明がある。昼間着ていた物のようだ。
半纏、袢天、半天、とも書き、長着に帯を締めた上に、羽織って着る綿入れの防寒着の事です。江戸後期から庶民の日常着になりました。どてらと呼ぶ地方もあります。
■ 丹前(たんぜん)とは厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着のこと。どてら(褞袍)とも呼ばれる。綿の入った広袖の羽織のような形をしており前を紐で結んで着装、襟と袖口が別布で覆ってある。布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。 元々高級武家に使える若い使用人(旗本奴)達の間で流行し一般にも広がったものだが、その原型は吉原の遊女、勝山の衣装から来ているという。
■ 丹前と言う名前はその勝山がもと「丹前風呂」といわれる売春窟もかねた風呂屋の湯女であったことから来ていて、美人ぞろいの丹前風呂に通い詰めた独身の旗本奴たちが良く着ていたといわれている。江戸初期の彼らのような若い奴や侠客などは、派手な縞柄の広袖の綿入れ(丹前)に広幅の帯(丹前帯)をしめてだらしなく着流し風流を気取った。彼らは当時有名な売春であった丹前風呂などに通いつめていたためその好みを丹前風と呼ぶ。
★K岡s子さん(60才)が語る:「どてらを捨てようにも、思い入れがあって、捨てれないのです。何か、アート的なものに使って、みせてよ。貴女なら、最後のどてらの花道を造れるのじゃないかしら~。夫の叔母は結婚することもなく84歳で他界しました。作り酒屋の1人娘でした。子供がいないので夫を可愛がってくれ、幼い頃はわが子のように、身の回りの世話をしてくれたそうです。夫と結婚した頃に、「治夫ちゃんは寒がり屋さんだから、作ったのよ~」と頂いたのです。その後、そのどてらは袖を通すこともなく、片付けた。それが、この9月、家の建替えをして出て来ました。叔母は昨年亡くなり、どてらを作る時、「寒かろうから・・」と言った言葉を思い出し、夫を思う気持ちが伝わってきました。」
★ M部M子さん(62才)からメール:修子さん、こんにちは。いい天気が続きますね。昨日は友人を誘って棚田の火祭りを楽しんできました。すごいスケールに圧倒されました。前回は1200個の松明だったとおぼえていますが、今日の新聞記事では昨日は4500個の松明だったそう。友人も大満足。御弁当を作ってきてくれたので、演奏会場のまわりで夜のピクニック気分を味わいました。
 ところで、押入れの整理をしていたら母の代からの「どてら」が眠っていたので処分しようと思います。厚い綿入れですが、修子さん利用法ありませんか?添付ファイルで写真を送りますから、 どうぞご検討ください。
 *修子さん、ちょっと問題が起きました。写真を撮った後、たたんで布をかぶせておいたのですが、猫がたたんだ角で爪とぎをしたようで 3ヶ所ほどやぶれました。生地も古く弱っていたのでしょう。簡単につくろいましたが後ろが傷になっています。それでもかまいませんか?
★ 吉野キズさん(87歳)は話す。:結婚祝に、父が「この布団とどてらは家で綿を紡いで作ったものだから、西洋のものは、なんにもなかと、だんなさんには戦争で勝ってもらわんばやけんでね、実家のために良く働いた御褒美」と言った。もう10年間片付けて、何時逝っていいようにしょうとしている。「もらってくれんね~塵捨てに出すにも、もう運ぶ力がない。」
★N・修子:9年前、築100年経った家を壊す日は近づき、兄弟で屋根裏の長持の片付けに余念がなかった。どうして屋根裏に置いたのか、入口は狭いのに大きな長持が3棹並んでいた。この家に嫁いだ人の数だった。その中を開けると、布団が並んでいた。屋根裏のそのまた奥の一室は以前蚕部屋だったらしい。布団長持から、出てくるどてらの布の古さと継接ぎと糸目と、糊の強さに、先人たちの心粋さえ感じてしまった。「捨てれない」:確かに、袖を何度も通した、どてらたちが其処には有った。
               
写真:どてらの父と小学4年生
撮影は兄です。
年の離れた兄は大学生でした。今時の学生と違って、よくもま~遠くから休みになると、長い時間、10時間以上も汽車に乗り帰省したものだと思います。帰省する度にカメラを持って撮っていました。はなれに有った兄の部屋はその時ばかりは暗室になり華やいだように思います。出来たこの写真を見ながら、「父さんの真似して・・足を広げてみたかったんかなァ~」と呟いていたのを記憶しています。
父のこのどてらは、どてらとして見た記憶で最後でした。ラクダの下着の上に来て・・大きなベルトでしめていました。時々しか帰らない父でしたが、大きな存在に思えて、少し恐くてなりませんでした。
「どてら」をテーマにワークショップをします。




2008年11月15日
場所:CAA 博多区美野島
「どてら」写真






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